世界を見てみよう!

学問から日々感じたこと、日本とヨーロッパの比較、歴史、考え方、哲学などを考えていく

社会人って言葉おかしくね?

英語などの外国語を使ったりしていると日本語にはない表現や言い回し、言葉がある事に気づくでしょう。また普段当たり前のように使う言葉が日本語ではないなんて言うこともあります。例えば「カステラ」や「天ぷら」などは比較的有名な外来語でしょう。もともとはポルトガル語であった言葉が日本語に組み込まれたものです。カタカナで書かれていれば外来語とすぐ分かりますよね?誰もケーキが日本語としてあったと思う人はいないでしょう。

 

しかし中には紛らわしいですがカタカナになっていない外来語がたくさんあります。しかもそれらの言葉は日本語でも普通に使われる言葉です。 

 

例えば「社会」「個人」「権利」「概念」「存在」「哲学」「恋愛」などは代表的な外来語です。外来語ですが漢字に訳されているので翻訳語と呼ばれます。

 

社会は英語のsocietyを翻訳して作られた言葉です。個人はindividual権利はright概念はconcept存在はbeing哲学はphilosophy 恋愛はloveから翻訳されて生まれた言葉です。

 

ではいつこれらの翻訳語は登場したのでしょう?

 

 

答えは明治時代です。歴史浅いですよね(笑)だいたい今から150年くらい前に作られた言葉という事です。

 

ではなぜ翻訳語を作らなければいけなかったのでしょう?外来語や翻訳語を使うということは日本語にその概念や考え方がないということです。例えばパソコンを日本が初めに開発していたとしたらカタカナでなく違う名前だったかもしれません。ちなみに中国語ではパソコンは電脳と言います。日本語でカタカナを使わないようにするためには中国語の力が必要です。

 

つまり明治時代にヨーロッパから入ってきた社会や個人、権利などはもともと日本にはなかったものということができます。そして今もsocietyやindividual、rightは日本にはないと思います。

 

ヨーロッパのsocietyは法のもとには皆平等という考えのもとです。そしてindividualはsociety に対応する言葉です。societyとはヨーロッパの個人主義の考えが基本となっていますが日本はもともと個人主義ではなく集団主義なのでヨーロッパのsocietyとはかなり違うものです。つまりsocietyと翻訳語の社会は全然違うものなのです。

 

societyは人の集まりのことを表します。一人ではsocietyとは言えませんが二人以上集まればそれはsocietyと言えます。そう考えると日本で言われる社会人ってとてもおかしく思いませんか?

 

社会人のざっくりした意味は正規社員という事ですよね。society(社会)にそもそも人という字をつける事自体変に聞こえますが、正規社員=社会人=社会の人というのはおかしいと思います。上で書いたように社会は人の集まりの事です。社会の人を正規社員だけに狭めるのはとても違和感があります。

 

人は生まれた瞬間から人の集まり(社会)と関わります。誰にも育てられずに一人で生き伸びた赤ちゃんなどいないでしょう。特に人間の赤ちゃんは弱く一人では何もできません。どんな人の集まりでもそれは社会なのです。つまりどんな人も生まれた時から社会の人(社会人)であるのです。

 

その社会の人(社会人)を資本主義社会における正規社員のみに限定する事は私はすごく変だと思うのです。

 

ちなみに社会人に対応する英語はありませんし他のどの言語でもそのような言い方はないそうです。直訳してsociety manなどと言っても「?」となるでしょう。

日本にはヨーロッパのsocietyはありません。明治時代に日本化して取り入れられたこの概念はほんの表面だけで本来の概念は日本人には知られていないのではないでしょうか?

 

日本人、中国人、韓国人、アメリカ人、インド人、社会人?

 

あなたはなにじんですか?

私は社会人です!

(?)

 

 

なんで日本は遅れてるの?

日本は遅れている、時代遅れだ。そんなふうに思ったり聞いたことはあるでしょうか?私ははっきり言って日本は遅れをとっていると思います。ではどのような遅れなのでしょうか?それはまず考えの遅れというものではないでしょうか?私は日本人多くの人の考え方が明治時代以降から変わっておらず、悪い面を引き継いでしまっているのではないかと思います。今日はそのことについて指摘していきたい思います。誤解しないでいただきたいのは日本人全員がそうだとか言っているわけではなく、いまだにその傾向が強いのではないかという事です。またこれは現時点での私の個人的な考察です。

 

ではどうぞ↓

 

日本の前近代的な問題という事が挙げられるがそれはなぜなのだろうか? まずそもそも前近代的とは何なのかという事について考えていきたい。

 前近代の前にまず近代と何なのだろうか?Wikipediaによ るとmodernの翻訳語と出てきた。具体的には産業革命、 資本主義の誕生、国民国家が生まれた18世紀以降の時代を示すよ うだ。つまり日本では明治以降という事になるだろう。 いくつか説はあるようだがここでは明治頃という事にしたい。 前近代的というのはそのころの人のような考えや振る舞いのような ことという事だろう。 

 

具体的な前近代性としての例は非合理性、男支配、 集団性などが挙げられる。ヨーロッパも産業革命、 戦争を経て今に至るので以前は今の日本と似た状況があったのかも しれない。

 

 ではなぜ日本は前近代的なのか? 日本が近代化を図ったのが遅かったというのもあると思うがほかに もありそうだ。 もちろん日本全てが前近代的ではないと思うがそれでもその傾向は 強いと思う。

 まず非合理的という事に関しては、 江戸時代の人は明治以降より合理的だったのではないかと思う。 江戸時代では限られた中で物を使う生活の知恵や分業体制なども生まれていた が世界大戦とともにそれらは変えられていったのではないかと思う 。

 

明治以降の日本の戦争などの情報を見てみると合理的だとは思えな い。当時の軍事学では軍の3割ほどが欠けるとその軍は全滅とされ たそうだ。3割欠ければ戦えないのだからそれ以上の死者や負傷者 が出ればまず勝ち目はない。 しかし日本はそんなことはお構いなしに戦い、 最後は特攻隊もやった。 特攻隊をやる時点でもう終わっていたのかもしれない。 第一その特攻隊の名前というのが行き当たりばったりで非合理の象徴なのではないだろうか。

 

神風特別攻撃隊だ。

 

日本が元と戦ってたまたま勝った時の神風のような神頼み的なものでどうにかなるわけがない。 明治以降の世界大戦は日本のこれまでを覆してしまった非合理の幕開けとなったのかもしれない。

 

世界大戦と男支配、 集団性というのも大きなつながりがあると思う。 日本に鉄砲が入るまでの主な武器は刀そして弓矢、 槍だったようだが例えば刀は鍛冶屋の職人でないとつくれないであ ろう。弓矢と槍はどのように誰が作っていたのかわからないが、 何も知らない素人にはできないだろう。 武器を作る人は作りそうでない人は他のことをする。

 

予想にはなるが藩どうしの戦争のときは全員が参加する必要がなかったのではないだろうか。しかし世界大戦では今まで以上に大きな戦力が必要となり武器も工場で大量に作らなければならなくなったため国民の多くが戦争にかかわら なければならなかった。 そこで男は兵士として女は工場の労働者として改造され集団性が発 生、 そして腕力の弱い女性は戦地では活躍できないため男性が偉いとい う考えが強まったと考えることができる。

 

結論としては異常なまでに大きな戦争に突入して国民みんな参加させられたということに大きな原因があるのではないかということだ 。現代はその遺症をなお引き継いでいるため非合理性、男支配、集団性というものが存在してさらにそれが強化されたと考えられる。

 

つまりこれらの前近代性(非合理、男支配、集団性)があるということは日本が世界大戦をして いたころからあまり変わっていないということなのかもしれない。